明治33年 当時の料亭「寿命館」
 堺出身の情熱の歌人・与謝野晶子は、明治33(1900)年8月4日、来阪した鉄幹を大阪北浜の平井旅館に訪ね、初めて出会いました。翌日、濱寺公園内にあった料亭「寿命館」での歌会にそろって出席し、それ以降二人の気持ちは高まり、やがて結婚することになります。写真は、歌会にそろって出席した料亭「寿命館」です。







明治35(1902)年当時の「濱寺停車場」
  「浜寺駅」は、1897(明治30)年に南海鉄道が、堺 駅ー佐野駅(現:泉佐野駅)で開業した際に設置されました。この絵はがきの作成された年代と駅名の看板から、立て替え前の駅と思われます。駅名の看板の向こうには、人力車が並んでいる様子が見えます。 
  



明治35(1902)年当時の「濱寺公園入口」
  ご覧のように、建物がほとんど無く草地の広がる、明治35年頃の濱寺公園駅前通りです。平成25(2013)年現在、高架工事に伴い駅前の再整備が進み、その姿を大きく変えつつあります。 
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