画像で見る<堺・浜寺>の原風景
    
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在りし日の「浜寺公園・海水浴場」




 

 浜寺公園は、1873年(明治6年)12月に日本最古の公立公園として開園しました。1905年(明治38年)には、日露戦争におけるロシア兵俘虜収容所が建てられ、軍艦の模型を作って爆破させるショーや、剣客を約500人招いて古代戦闘合戦を行なったり、夜間もイルミネーションで飾っていました。園内のユースホステル北側にロシア兵の霊を鎮める銅像と、小泉純一郎総理大臣とロシアプーチン大統領の書名が入った石碑が建っています。なお、この地で亡くなった捕虜が、大阪府泉大津市春日町の「春日墓地」内に「ロシア兵墓地」として埋葬されています。

 公園周辺の旧浜寺町一帯は、大正から昭和初期にかけて別荘地となり、夏期は海水浴場として大変な賑わいを見せました。浜寺海水浴場は大阪毎日新聞社と南海電鉄が開設したもので、阪堺線の駅前と言うこともあり、旧堺港南側の大浜公園および大浜海水浴場と並んで一大レジャースポットでした。かつて園内には数件の料亭が営まれており、堺市出身の与謝野晶子が与謝野鉄幹と親しくなった歌会も行なわれ、現在は晶子の句碑が存在しています。

 戦争が終わった直後、1945年(昭和20年)から1958年(昭和33年)までアメリカ軍に接収され、解除後わずか3年で泉北臨海工業地帯の埋立造成が始まりました。海水浴場は姿を消しましたが、浜寺公園の松林の保存などを目的に浜寺水路が建設され、辛うじて往時を偲ぶことができます。

(おもな出典は、堺市役所および各新聞社のデジタルデーター)

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