平成30年 3月23日(金)

3月18日の写真(朝陽)添付










陽 
           








陽 
 こちらも寒い春分でした。最近の写真をお送りします。朝陽は趣味で撮っています。川端眞砂子


 きれいな写真、ありがとうございました。5年ほど前から奈良の加藤さんが、マンションのベランダからガラケーで撮った写真を送ってくれています。すでにご覧いただいていると思いますが「奈良の雲」と題して連載しています。加藤さんは今一人暮らしで、思うように歩けず目も見えづらくなってきているようです。影絵もやめて唯一の楽しみで生駒山上空にカメラを向けるのだそうです。私のサイトをお孫さんや友人たちが観て、知らせてくれたり印刷して送ってくれたりしているそうで、大層喜んでくれています。そこでフト思いつきましたが、別に競うわけではありませんがスペインの空も掲載してみたいと思っています。「岡井神戸特派員」・「加藤奈良特派員」に続いて、川端さんには遠くて近い「スペイン特派員」になってもらえたら、当サイトもより充実しますのでよろしくお願い致します。なお、HPサーバーの容量は「7GB弱/10GB」なのでスペースは大丈夫です。

ところで先日のブログの件ですが、当方の都合でややこしいお願いをしています。不十分な説明ですので、よく吟味しながらゆっくり試してみて下さい。些細な事でも、川端さんがある程度納得出来るまで何度でも質問して下さい。

<追伸>今日送ってもらった写真を見て、ちょっと面白いことが思い浮かびました。明日のブログをお楽しみに。

 早速一夜明けて、夕べ思い浮かんだ「面白いこと」に関する構想というか妄想が、ある程度まとまったので書き始めました。しかし、当初は小咄(こばなし)程度でしたが、イザ書き始めると妄想が妄想を呼んで、結局別に起ち上げることになってしまいました(笑)。ちなみに、こんな調子でリンク先を拡げて行き、気がつけば蜘蛛の巣のようになっています。これが、当サイトの再構築を躊躇(ちゅうちょ)する最大の原因になっています。久野 勲

バルタン星人出現?
夕べ思い浮かんだ「面白いこと」



平成30年 5月17日(木)


スペイン在住
昭和小学校・浜寺中学校同窓生

川端眞砂子さんを囲む会


会場は「がんこ」難波本店でした。







平成30年 7月02日(月)



スペイン特派員報告

 バルタン星人の面白い記事を読みながら、二つのことをお知らせしなければ、と思いました。

 まずひとつ目は、夢をこわすようなことは言わないでほしい、と言われそうです。バルタン星人について何も知らずに言うのですが、朝陽の写真右端に見える人の形に見えるのは「果物のびわの木の葉」です。15年ほど前に食べたのちの種を植えたら、今は毎年甘い実が20個余り実るようになりました。植木鉢なので高さは1m50センチほどしかありません。星人に見えたのなら、びわも喜んでいるに違いありません。

  次いて二つ目は、特撮の円谷プロの初代円谷英二さん(左端)や三船敏郎さんと並んで写っている1963年の写真です。当時、神戸の高校を卒業して関西から東京へ引っ越してから4か月後の浪人時代でした。スペイン語通訳のバイトを頼まれてTBSドラマ制作部に出入りしていた時のものです。私が不安な顔つきをしているのは、20歳でまだ世間の垢にまみれていなくて大人の世界に首をつっこんだせいかも知れません。スペインの国営テレビとTBS合作ドラマの撮影で、前列左がドラマの主役、右がディレクターです。当時TBSの制作部には、ご長男の円谷一(はじめ)さんがいらして、一行は東宝撮影所見学となりました。

 写真左端が円谷英二さん、三船敏郎さん。私の右側は当時のTBS制作部長、その横は通訳の先輩、前列右がディレクター、左がドラマの主役俳優です。このドラマ「カルテロ・カルロス日本へ飛ぶ」の筋書は実話から、日本のある地方のお寺出身の女性がキリスト教のシスターになってスペインの修道院で暮らしていて、郵便屋さんに実家宛ての手紙を託したら、実際に飛行機に乗って届けてくれたという話でした。

 それにしても、久野さんが上記の話とは関係のない写真(びわの葉)から私に遠い昔のことを思い出させて下さった、ということは矢張り何かのご縁があったのかと、大変不思議に思っているところです。川端眞砂子





バルタンの正体見たり、びわ木の葉
 そもそも事の起こりは、前世か前々世からの縁だったのかも知れませんね(笑)。それはともかく現実に戻れば、事のキッカケは、川端眞砂子さんがマドリードでNHK番組「新日本風土記・堺」を観たところから始まったようです。そこで、堺・浜寺への懐かしさからPCで検索している内に、永田新吾君の管理する「昭和小HP」がヒットしたそうです。そこで60数年ぶりに、懐かしい校舎や同窓生たちの写真などが掲載されているのを観ました。すぐに、HPに出ていた永田君のメールアドレスに、2017年3月11日(土)「突然メールをお送りする失礼をお許しください。小学校卒業後60数年という長い時間が経ちました。昭和町に住んでいました川端眞砂子と申します。昭和小19期生のHPを拝見し、もう天にも昇る気持ちです。これから生きる張り合いにもなります」と、その喜びを送信されています。そして永田君の計らいで、何人かの同窓生たちとメール交換が始まりました。ここまでは、10年間にわたって「昭和小HP」を管理してきた永田君の努力が実って良かったなぁ、と陰ながら称賛を送っていました。


 ところが図らずも、私がいつの間にか表に引っ張り出されてしまいました(笑)。それは永田君が川端さんに話した「私(久野)が昭和小HPに関わっている」のひと言だったようです。この一滴?いや一言が、無意識による永田君のシナリオなのでしょう。このひと言が無ければ、川端さんと私の出会いは実現しなかったでしょう。そんなひと言がキッカケとなって、まさか「不思議な縁」にまで波紋が拡がりを見せるとは思いも寄りませんでした。それにしても、あの写真を見れば、ウルトラマンファンならずとも「バルタン星人」を連想するでしょう。ウルトラマンなど知らないだろうと思われる川端さんに、何を血迷ったのか(笑)ご丁寧にもウルトラマンの生みの親である円谷プロの話まで持ち出して報告しています。まさか、それが後に川端さんを驚かせることになろうとは、偶然とは言え私自身も不思議な縁を感じています。

 特撮の円谷プロの初代社長や、赤ひげの衣装の世界のミフネと肩を並べている川端さんの写真を拝見して驚きました。サイト「テレビドラマデーターベース」によると、当時の東芝日曜劇場で放送されたTBSドラマ「カルテロ・カルロス日本へ飛ぶ」は、第18回芸術祭奨励賞受賞作品で「スペインの修道院で尼僧になった日本人の娘。その娘に励ましの手紙がスペイン中から届いた。故郷の日本にもその感動を伝えようと郵便配達夫が使節として来日する」。「カルテロ」とはスペイン語で郵便のことだそうです。仏門に育った坂井三津子は、カトリックに改宗しスペインで尼僧になる。そのことを知ったスペインの人々は、三津子に励ましの手紙を送る。修道院はアリパルティルという寒村にあったが、村の人々は日本の両親が寂しがっているだろうと、郵便配達員のカルロスに、手紙を日本に届けるようにいう。こうしてカルロスは日本にやってきたが、カトリックに改宗した娘を、両親は快く思っていなかった」。なお、1963(昭和38)年に発足したばかりのTBS映画制作部としては初の大きな仕事だったそうです。なお、円谷一氏が助監督だったそうです。画像は、来日したカルロスが娘の父親に手紙を手渡すシーンです。久野 勲

スペイン版
カルテロ・カルロス日本へ飛ぶ





平成30年 7月13日(金)

スペイン特派員便り




 先日、日本のニュースで見たのですが、1千万本のフランスのロゼワインが処分されたとか。実際に処分している映像ではなかったので本当に処分されたかどうかは知りません。でも驚いたのは、その理由がスペイン産のロゼにフランスのラベルを貼って売り出していたから、というのです。そんなこと昔からあったじゃん、何を今さら、と思ったんですが、意外と知られていない事実かも知れません。通訳業の一つとして、日本から来る輸入業者がワインやオリーブオイルなどの産地を訪ねるのに同行して現地の商工会議所が開く見本市での商談を通訳するという仕事がありました。その時にもメーカーの人たちがこぼしていたように思います。なお、画像のタイトルは「どこへお出かけ?」です。

 オリーブオイルはバルク(一括)で多量イタリアへ輸出され、イタリア産のと混ぜ合わされてイタリア産オリーブオイルとしてイタリアで瓶または缶に詰められてイタリア語のラベルが貼られて売られる。ワインもスペイン産の白ワインと赤ワインがバルクでフランスへ輸出されフランス語のラベルが貼られてフランス産として日本に輸入される。経済のことは良くわかりませんが、直接スペインから日本へ輸出されれば値段も安くなるでしょうに。フランスのボージョレヌーボーの大騒ぎを見てもわかるように、フランス人は自国のものを売るのが上手なのです。それに比べて、スペインはもっと威張って欲しいと思うくらい謙虚になるので売れないからいつまでも下に見られる。スペイン?ふん安物だろ?なんて。ま、その分サッカースペイン代表選手たちが頑張ってくれているからいいか。続く


 私は、そのニュースには気が付きませんでした。これを機に調べてみましたが、1000万本ものフランス産ロゼワインがなんとスペイン産のロゼワインだったそうです。スペイン産のロゼワインは、フランス産に比較して半分以下の価格で、メーカー数百社がかかわっていたそうなので驚きました。ワインの世界では、フランスはイタリアワインんやスペインワインを低く見ているようなので、川端さんのお怒りも理解できます。素人の私でも「ワインと言えばフランス」そんな意識しかありません。それにしても1000万本のワインとは想像もつきません。ただ、以前にフランスのボージョレ・ヌーボー解禁を記念した箱根小涌園の「ヌーボー風呂」のニュースを見たことがあります。

 実はそんな私も、赤ワインを飲んでいたことがあります。それは、胃が三分の一になってしまった私を気づかってくれた同窓生のアルコールを飲まない岡井君が「赤ワインは体に良い」と言ってくれました。また濱野君が「寒い時は赤ワインの熱燗が良い」と勧めてくれました。ありがたく思い一時赤ワインばかりを格好を付けて、慣れない手つきで大きなワイングラスを傾けていた時期がありました。しかし、根っからの日本人なのでしょうか、気がつけば申し訳ないことに、いつの間にやら「麦焼酎のウーロン茶割り」に戻っていました。ワインの渋味が良いと言いますが、残念ながら私には合わなかったようです。

 それにとけても、世界でも規制が厳しいはずの日本でも産地偽装は後を絶たないようです。スペイン産のワインをフランス産に偽装。ワインは一応嗜好品ですが、健康にも大きな影響が出る可能性もある食料品などは特に厳しい規制が必要です。フランスでもワイン消費者に詐欺行為を働けば、その代償は決して小さくないそうです。消費者機関の幹部の話しでは、規制対象の業者のうち2016年には22%2017年には15%、合計で743社が外国産のワインをフランス産だと偽っていたと明らかにしたとのこと。もし裁判で有罪と認められれば、最長で禁錮年、罰金30万ユーロ(約4000万円)が言い渡される可能性があるそうです。それだけのリスクを犯す価値があるのかも知れません。
久野 勲
 



平成30年 8月 4日(土)

情熱の国「スペイン特派員便り」

  

夏季休暇とボート難民

  昨日までは酷暑だとか猛暑の日本の気候は大変だなあ、と思いながら7月が余りにも過ごし良かったので冷房もいれずに避暑地気分でのんびりしていました。が、8月に入った途端気温上昇、アフリカの熱砂が襲って来て44℃を記録した町もあります。湿度が低いので陰でじっとしていれば熱中症にならずに済みますが、水分を取るように冷房を入れるように、と日本と同じようにテレビでも勧めています。こちらでは、7月に入ると4700万総夏季休暇に入ります。老いも若きも海か山か生まれ故郷がある地方へ出かけない人は、夏休み用の貯金が出来なかった人か病気の人かと疑われるほどです。

8月4日、気温が46度を超えた日没後も多くの
人でにぎわうスペイン東部バレンシアの海水浴場

 夫と私の二人で構成している我家ですから、スペイン一般人のごとく息子や娘や孫たちと一緒に楽しい休暇を過ごすことは夢に過ぎません。少し前まで私たちのお相手をしてくれた甥や姪たちも結婚して子供が大きくなり、自分たちの家族と一緒に楽しんでいるのでお邪魔しないようにしています。私たちも若い頃は、7月又は8月に仕事から一旦離れて1ヵ月の休暇を楽しみました。海、山、海外、あちこちへ旅行しました。此方の人はそれを「気分転換」と呼びます。エネルギッシュなスペイン人は、家族総出で一番近い地中海の海辺まで少なくとも3時間余り、遠ければ8時間でも10時間でも満杯の車を運転して避暑地へ出かけて2週間又は一か月過ごしてリフレッシュしてから次の一年に備えます。


 1986年にEUに加入してからは道路が良くなったので車を利用する人が多く外国ナンバーの車や特に今の時期は、スペイン、フランスやドイツなどに出稼ぎのモロッコの人たちがスペインを横断してジブラルタル海峡からアフリカ大陸の自国で休暇を過ごすために交通量が増えます。彼ら専用の休憩所も多数用意されています。私たちは10年ほどジブラルタルに近い海辺で夏の休暇を過したので車の上に家財道具一切を山積みにして疲れた顔ではるか遠い自宅を目指してヨロヨロ走る彼らの車を良く見かけたものです。

 ところが、この10年ほど前から彼らの車がドンドン良くなり、運転するのは若者に代わり、車の屋根の上に家財道具を見かけなくなりました。働いて貯金してくれた親から世代交代した今、そのようなモロッコ人がヨーロッパに大勢います。その移民2世、3世の若者たちは自国語のほかに生まれ育った国の言語を話すにもかかわらず、中には人種差別を不満に思いテロ組織に入る者も出て来ているのでEUの移民問題は簡単に解決されません。


 私が日本旅行をしている間に、スペインは社会党政権に代わりました。アフリカに一番近いスペインは、あちこちの港に漂着するゴムボートの難民を沢山受け入れてパスポートまで与えるという柔軟過ぎると思われる政策を取っています。スペイン語が話せないし、学歴も無いので定職につけないアフリカ人が街中に今後増えるのではないかと危惧しています。彼らの寝場所は公園の片隅や地下街の中です。赤十字の人たちに助けられてゴムボートから降りてくるのは、妊娠した女性、元気一杯のスマホを手にした男性の若者たち。ビザもパスポートも持たずに堂々とヨーロッパへ入り、その国の人と同じ国民健康保健が与えられるので難民はあとを絶たない状態です。その中にはテロリストがいるかも知れないと思うと、もろ手を上げて歓迎する気にはならないのです。ハンガリーやイタリア、フランス、そして受け入れに賛同していたメルケル首相のドイツなどが反対し始めたのにもかかわらず人道上からか知りませんが、スペインはボート難民の受け入れを続けて収容所が不足して悲鳴を上げ始めました。続く


 スペインでは本格的な夏に入り、各地でバケーションを楽しむ観光客で賑わっているそうです。平均で15日~30日前後の休暇を、この夏の期間(7月~8月)に家族(一般的に)と一緒に過ごすのが習慣になっているそうです。ところで、1962(唱和37)年に歌手・コニーフランシス(米)の「バケーション」がヒットしました。相次いで、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子らがカバーしました。それらを聴いた日本人達は「外国では四季それぞれに長期休暇があるんだ」と羨ましく思ったものです。日本では、有給休暇を買い上げる企業が出るなど、有給休暇を取りにくい時代でした。ちなみに、世界最大の総合オンライン旅行会社「エクスペディア」によると、次のような興味深い調査結果が出ています。




 つい最近のニュースによると、アフリカから急激に吹き込んでくる高温の空気が原因で、スペインとポルトガルで気温が上がっているとのこと。気象予報「BBCウェザー」によると、3日と4日のスペイン南西部とポルトガル南部および南東部の予想最高気温は47度だそうです。BBCウェザーはツイッターに、欧州全域の猛暑を示すヒートマップと共に「スペイン南西部とポルトガル南東部で危険な高温(45度以上)。気温が高まり、高温警報がこの地域や欧州の他地域に発表されている」と投稿しているそうです。

 なお、敢えて愛する母国を捨てて、命がけで逃げ出さざるを得なくなった「避難民問題」に関しても、それぞれの国が地理的な問題から国民性など独自の事情があるようです。避難民を生み出している当事国、自国の勝手な思惑のために、それらの国の後ろ盾になっている大国の責任は大きいと思います。しかし現に、紛争や迫害を逃れ、家を追われた人の数が過去最多となりました。グローバル・トレンズ・レポート(年間統計報告書)によると、2016年末時点で移動を強いられた人の数は6560万人で、昨年よりも30万人も多くなっているそうです。ちなみに、日本の場合は避難民の受け入れについては国の事情等があります。だからと言って手を拱いているわけではなく、その代わりになる他の有効な手段で出来る限りの支援を実施しています。久野 勲

inserted by FC2 system