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「番外編」



石 津
風 車 群
 
 


定 置 網 砂浜で天日干し
 
       

1969(昭和44)年、石津漁港に鯨



石津太(いわつた)神社の行事


盆踊り  ダンジリ やっさいほっさい
   


その昔、石津には布団太鼓とダンジリが共存していました
 
 

淡 輪 海 岸  





 
 
 
岸和田

 南北朝時代初め、この地は「岸」と呼ばれていました。1334年(建武元年)楠木正成一族の和田高家が、この「岸」に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田殿」と呼ばれるようになり「岸」の「和田」がなまり「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。 その時代、岸和田城は紀州根来寺を監視する重要な場所であり、根来寺壊滅後は小出秀政(豊臣秀吉の叔父)が城主となりました。小出氏は五層の天守閣を築き、その後江戸時代に入り、松平氏を経て岡部家が入城。以後、岡部家が十三代続き、明治維新を迎えることとなりました。

 1703年(元禄16年)、時の岸和田藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷大社を岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられ、約300年の歴史と伝統を誇る。曳き手が走り、速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」を見所として、多くの観光客を集めています。幾つかの神社の祭りの総称で、基本的には地元の神社でその年の五穀豊穣を祝う祭りです。全国的にも知名度が高く、日本を代表する祭りの一つです。毎年2日間で約60万人もの観光客が訪れます。岸和田市民(特に岸和田旧市地区)は、だんじりのために生きている、といわれるほど祭り好きであり、全国の著名な祭が資金や人手不足で観光不振におちいっているなか岸和田だんじり祭は今もその勢力を拡大しています。

昭和29年・岸和田城再建  
 
 
 
 
 
 
 
 

完 成
 

平成(4年)大改修完成
 
 
 
 

助 松 海 岸
 
 






松之浜海岸



高師浜海岸
 


諏訪森海岸  
  

 

 









   
出島海岸





 

宿 院 



 

 
   

 開口神社(大寺さん)




 
   

堺東界隈




 



    
昭和20年 堺東駅






明治時代の吾妻橋駅 後の堺停車場




 大和川



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