母の故郷・紀ノ川のほとり
BGM

「故 郷」

 平成4年の7月はじめの日曜日、この日はあいにく昨夜来の雨が降り続いていました。夕方には職場の同僚の結婚披露宴に招待されています。どうしようか?しばらく迷っていましたが、一家四人思い切って和歌山へ行ってみることにしました。雨降り、地図を便りの初遠出、免許証とりたての未熟な息子の運転など条件は最悪でしたが、片道2時間と見て大丈夫だろうと判断しました。朝起きてから、なぜか無性に和歌山に行きたいという気持ちが強かったわけです。

 その目的地は、橋本と和歌山市の中間に位置する「かつらぎ町大谷」という紀ノ川沿いの小さな町です。そこが今は亡き「おふくろ」の故郷です。叔母(母の妹)が、目の手術を受けて家で養生しているので見舞いがてらに会いに行きました。近くに亡き叔父(母の弟)の奥さんとその子供(従兄弟)が住んでいますが、叔母には子供がなく、数年前に旦那さんを亡くしてから、今は一人で暮らしを続けています。母が存命中は、月に何度かは泊まりがけで遊びに来てくれていました。堺に来て、一緒に住むように何度勧めても頑なに断り続けています。この日は、急なこととて連絡せずに行ったので大層驚いていましたが、今朝起きたときに、勲ちゃんらに会いたいなぁと思っていたところやった、といって喜んでくれました。やはり「おふくろ」が呼んだのかと思うと目頭が熱くなりました。

 着くなり、あわただしく娘を含め家族四人で部屋の大掃除をしたり、上敷きを代えたりで汗を流しました。そして、一息入れようと土間へ降りると、あちこちにクモの巣が張っていました。それを丁寧に払いながら裏へ出てみました。そこには小さい頃から何度ともなく見慣れた、今も変わらぬ懐かしい風景が広がっていました。雨にこそ煙っていましたが、目の前に田んぼが広がり、すぐそばを小川が流れ、それを越えて少し行けば紀ノ川の土手に出ます。そのまた向こうには見上げるような山々が連なっています。まさに絵に描いたような「ふるさと」が、そこにありました。《♪うさぎ追いしかの山〜小鮒つりしかの川〜》。私には、この歌の「ふるさと」はここではないかと勝手にそう思い込んでいます。

 しばらく昔を思い出しながら物思いにふけっていましたが、そうゆっくりもしておれません。帰ろうと思うんですが、叔母の姿が見えません。奥で掃除をしている女房に聞くと、何か買い物に行っているらしいとのことでした。しばらく待っていると、小雨の中を買い物車を押した叔母が帰ってきました。その姿が、一瞬「おふくろ」の姿と重なって見えました。叔母は、私が子供の頃そうであったように、買い物車いっぱいにジュースやお菓子を買ってきてくれました。みやげに持って帰れといいます。そして、帰り際には「今日はよう来てくれたなぁ、ゆっくり泊まっていけばいいのに・・・」と涙混じりにいってくれました。思い切って来てよかった。これからは「おふくろ」の代わりに叔母孝行をしなければ。この月の末には「おふくろ」の一周忌がやってきます。

 この日、叔母が買い物車を押して帰ってくる姿を見たときに、ちょっと前にあった、こんな出来事を思い出しました。【そういえば、この時の三ヶ月ほど前、似たような光景に出くわしたことがありました。それは夜中の二時頃、堺東から歩いて家のそばまで帰ってきた時のことです。向こう側の阪堺線の踏切の方から、夏でもないのに白い浴衣のようなものを着たおばあさんが、買い物車を押しながらこちらの方へ歩いてきました。辺りを見回しましたが誰もいません。少し酔っているとはいえ、そんなバカなと否定しながらも一瞬「おふくろ」かなと思いました。小学校の近くで比較的明るい所でしたが、逆光だったので白髪の乱れは見えましたが顔までは見えませんでした。4〜5メートルほどに近づいた所で、私は家の方である左へ曲がりましたが「いさお」と呼ばれるような気がして、しばらく立ち止まっていました。しかし、不思議なことに物音一つ聞こえず、振り返ってみましたが誰もいませんでした】。

 『追伸』
 幼いころ、窓から見た目の前に迫りくる低い山々、その麓をゆったり流れる紀ノ川の清流。そんな光景が今でもはっきり瞼に焼き付いています。平成13年7月27日、久しぶりに「おふくろ」の故郷、和歌山県かつらぎ町に行って来ました。おふくろの肉親で、ただ一人生まれ故郷に残っていた叔母(おふくろの妹)の告別式でした。山間の小さな会場で質素な告別式でした。田舎で、身よりもなく一人暮らしが長く、何度、堺で一緒に住むように勧めても、頑ななまでに故郷を離れようとはしなかった叔母でした。そして、この日は奇しくも「おふくろの死」から十年目の「祥月命日」にあたる特別な日でした。生まれ故郷で、独りぼっちになった妹を「もうええやろ、お前もこっちへおいで」と迎えに来たのではないか、みんながそう思いました。そんな不思議な事って本当にあるのかも、そんな気がしました。




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