昭和30年代 当時の「浜寺水練学校」
 明治39(1906)年、大阪毎日新聞社は海事思想の普及を目的に、海水浴場と「海泳練習所」を開設しました。これが浜寺水練学校の前身となりました。戦火が激しくなった昭和20(1945)年を除いて毎年開催され、生徒数は約37万人を超えます。100年を超える歴史は、日本の水泳界を支える多くの人材を輩出してきました。浜寺公園プール群が完成した昭和38(1963)年から、水練学校はプールへと会場を移しました。




阪堺線「浜寺駅前」





昭和33年 当時の「米軍接収解除」

 昭和33(1958)年、浜寺公園の米軍接収解除に伴い、現在の北テニスコート周辺にあった「濱寺青少年の家」を含む22棟の建物が大阪府へ返還されました。写真の「202」の建物は、米軍宿舎として利用されていたと思われます。屋根には日本の瓦が使われているように見えますが、建物のフォルム(形)や色彩は当時の日本のものとはかけ離れた印象を与えます。

昭和23年
 

昭和33年




昭和38年の「プール開設式」
 平成25(2013)年に開設50周年を迎えた、浜寺公園プール開設式の様子です。写真はプール完成を祝して披露された、浜寺水練学校による楽水群像の演技です。明治39(1906)年からの歴史を誇る浜寺水練学校は、日本のシンクロナイズドスイミングの発展に大きく寄与し、数々のオリンピック選手を輩出しました。


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