昭和初期 当時の「浜寺海水浴場」
 波打ち際で楽しそうに遊んでいます。この子たちは、今はもう90歳ぐらいになっているんでしょうか。




昭和初期 当時の「浜寺海水浴場」
  右の方に飛び込み台が見えます。海水浴場のすぐ近くで、レースが行われているんでしょうか。たくさんのヨットが帆を上げています。




昭和初期 当時の「浜寺海水浴場」
 人々で賑わう濱寺海水浴場の様子。当時、海水浴場は「男子水泳場」「女子水泳場」は分かれており、ご覧の写真は「男子水泳場」と思われます。右下にある星印のマークは、現在も続く浜寺水練学校を主催していた、大阪毎日新聞社の当時の社章です。




昭和初期 当時の「浜寺公園海水浴場」
 浜寺公園が海浜地を公園区域に編入し、供用を開始しはじめたのが昭和4(1929)年からです。写真のタイトルが浜寺公園海水浴場となっていることから、撮影時期は昭和4(1929)年以降と思われます。当時の海水浴場は、他の資料によると「水練学校」「男子水泳場」「女子水泳場」に分かれていた模様です。




昭和初期 当時の「浜寺海水浴場」
 明治39(1906)年に開設された浜寺海水浴場では、大正3(1914)年7月には「海上ブランコ」「ウオーターシュート」などの遊具が設けられて、人気を博していました。ご覧の写真は、その後設けられた「海上遊動円木」という遊具です。


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